こんな本を読んでいます

「死なう団事件」 保阪正康 有名な事件であるが,読んでみると,けったいな10数人の人たちが起こした世間離れしたけったいな行動の物語。首謀者江川桜堂を始めとして知的レベルも低く教義に対する理解もまるでできた様子もない。こんなしょうむない人のしょうむない馬鹿行動を調べまくって,入れ込んで一冊の本にした著者に最大限の敬意を。
「三島由紀夫と楯の会事件」 保阪正康 事実の羅列の間に入った,三島に対する評論は偉大。三島自身も考えてもいなかったことまでも入っているよう……。
下手な感想やどうでもよい知識を,事実を述べた本文中に入れている司馬遼太郎,ちょっと彼の爪の垢でも煎じて飲んだらと,天国(彼アーメン教でした?)にいる彼に,教育的指導を発声する今日この頃です。
「瀬島龍三」参謀の昭和史 保阪正康 瀬島龍三伝でありながら,瀬島のことがあまり書かれていない。秘密のベールに包まれた人なので,取材が難しかったのだろうが,羊頭狗肉の類といわざるを得ないか。しかし収集した情報の分析はさすがであるし,また情報に対する自己の意見も適確である。
「フェルマーの最終定理」 富永裕久 おいおい,360年目に解かれた「フェルマーの定理」のワイルズの行った証明を,たった1ページにまとめ,他は誰でも知っている数学を書いて,ドナイスルネン。富永さん,ワイルズの論文,理解していないんではないんですか?。ルポライターで,数学者でないので仕方ないか。著者を見ないで,本のタイトルだけで買ったワタシが馬鹿でした。難しいワイルズの証明を,分かりやすく説明するのが,本来ではないでしょうかね。
「活字探偵団」 本の雑誌編集部 本のことについて,雑学が学べる。この種の本は,必ず一定の読者がいるということである。

ガリア戦記 カエサル著
近山金次訳
いやー感動した。本当に感動した。
ガリアとはケルト人の住む西ヨーロッパのことで,この地にローマが仕掛けた戦争の記録である。簡潔な文体で知られるカエサル(シーザ)自身の筆になる紀元前58年から同52年までのドラマである。ガリア戦記は,古来からラテン文学の最高峰とされる。

この時代,日本は大陸から戦乱を逃れた大量の難民がもたらした米作などの新技術が定着した弥生時代中期にあたる。縄文時代から進歩したとはいえ,国家・文化・技術どれをとっても未発達であったことは想像にかたくない。
その時代,はるか西の地球では,こんなすばらしい文学作品が文字によって作られていたとは。しかも,ガリア戦記の異本はほとんどないようで,その秀作が時代をまたいで正しく伝えられてきたとは。これらは,驚愕に値する。日本で同じ「英雄時代」とされる500年後の雄略天皇も,カエサルほどの文筆家であり,その記録が残っていたら,日本歴史はもっと胸躍るものになっていたであろう。
7 ローマ人の物語 塩野七生
新潮文庫
文庫本で1〜37まで既刊で,全て読了した。
全体として血湧き肉踊る,すばらしい内容だった。すばらしい内容というのは,ローマ人が2000年も前に驚異ともいえる社会システムを,完全に作り上げていたことである。その上,その記録が日本で言えば弥生中期の記録が,これも完全に残っていたということである。
この制度が,キリスト教に支配された不幸な中世を経ずして今に伝わっていたとしたら,現代は確実に31世紀になっていただろう。

著者は名前から普通に男性と思っていたが,少し女言葉の言い回しがあり,調べてみると女性であった(文化功労者になったこともあり,もちろん今はよく知っている)。
イタリア語に堪能でローマに在住し,古今の膨大な資料を渉猟してこの本にまとめた。

有名な歴史であるので,資料には事欠かなかったと思うし,それを編年的にまとめればよいので,新事実の掘り起こしというノンフイションの一番難しい労苦はほとんどなかったと思う。「辞書から辞書を作らない」という原則に反し,新しい事実がなかったのは残念である。また訂正をようするおかしな文章の表現が,随所にあったことも問題であろう(日本語を忘れかけている?雑誌社の責任?)。

20年かけて執筆したらしいが,当初の文体構造は単純で読みやすかったが,後になるに連れて猛烈に複文が多くなり,カッコ良い文章にはなったが,1回では意味がとれなくなったのは,誠に残念である。

しかし,日本人としては一番苦手な次々と登場するカタカナの人名を識別するために,名前の前に形容詞句で説明を加え,分かりやすかった。この手法を,是非ほかでもとって欲しい。

いずれにしても,ローマ人が現代に通じるすばらしい社会システムを既に完成させていたということを知るために,また学校で習ったことがいかにつまらなくその裏に豊富な内容があったことを,またそのシステムを今のシステムと比較するために,一読をお奨めする。
       こんなページでも読んでいただいている方がおられるようなので,少し更新します。
以下の作家の本を読んでいます。読んでいるといっても,家では全く開くことはなく,もっぱら電車の中か待ち合わせの時間を使ってくらいです。文庫本に限られますが,しかしこれでも結構読めます。

1)児島襄・・・・・・近代史の作家。短文で明快な文章で非常に読みやすい。文庫本で幅約50cm位ある全てを読破した。とくにヒットラーの伝記は圧巻であった。

2)秦郁彦・・・・・・近代史の作家。戦記物を中心に大体読んだ。

3)保阪正康・・・・・・近代史の作家。大体を読んだ

4)半藤一利・・・・・・近代史の作家。大体を読んだ。若いころ読書した「日本のいちばん長い日」が,大宅壮一編となっていて当時大宅氏にこれだけの文が書けるか,何故”編”なのかと疑問であった。最近ゴーストライターであった半藤一利が自分の名前で出版し,謎が解けたので新版を読んでみた。

5)吉村昭・・・・・・幕末から明治期,太平洋戦争を扱った作家。文庫本はほぼ完璧に,幅約70cm分全てを読んだ。吉村氏は,日記類が残っているものをベースにするため,こうしたものがない場合は取り上げていないし制限したものになる(例えば”桜田門外の変”では,日記があった関鉄之介を主人公としている)。しかし微にいり細にわたり記した内容なまさに圧巻で,血湧き肉踊る。

文章もうまく展開もたくみである。自分の意見や解説を入れるのを極力控えているようで読みやすい。

調査が不十分で想像で追加する作家(例えば司馬遼太郎)に比べ,事実に基づいたものは内容も豊富である。一人の作家が考えた内容より何十人もの立派な歴史上の人物が行動し発言した内容の方が,よっぽど重厚ですばらしい。「事実は小説より奇なり」である。

先に読み進むのが惜しいものも多々あった。一番感動したものをと問われても,全身の指でも足らないくらい多い。惜しくも鬼籍に入られ読む本がなくなったが,彼が生涯をかけ発掘した歴史の事実は,これからも長く読み継がれ,まさに近代の「記紀」として残るであろう。